国道45号線は完全に回復しており渋滞もまったく無かった、のどかな新緑の風景が続く
約2時間半で田老に着いた、途中野田村で見た光景がさらに大規模に広がっていた
津波は10メートルを超える防潮堤二つを超えて侵入しあらゆる建物を破壊していた
既に瓦礫も撤去されつつあり残った建物には「解体OK」と赤ペンキで書かれていたりしていた
それにしても自然の力に対して防御する事の限界を感じてしまう
途中「たのはた村道の駅」での地図の�Dあたりが田老の位置でこのあたりのリアス式海岸は切り立った山と海岸が近接しており津波は岩肌を駆け上がって増幅してきたようだ
写真右奥に連なる海に面した外側防潮堤と左側の内陸部に位置する内側防潮堤までは数キロがあり瓦礫と車がそれぞれまとめて積み上げられていた
内側防潮堤のさらに内側寄りに船が見えるが二つの防潮堤を超えてここまで運ばれたようだ
内陸部の三階建ての建物がこの有様であり奥の山肌に墓地群が見えるがあそこまでは津波は到達しなかったようだ
この後宮古市街地を通って盛岡を経て帰路に着いた
後にニュースで田老地区の仮設住宅地でこの日テントによる商店街の開設が始まった事を聞いた、人々のたくましい復興を祈らずにはいられない
約2時間半で田老に着いた、途中野田村で見た光景がさらに大規模に広がっていた
津波は10メートルを超える防潮堤二つを超えて侵入しあらゆる建物を破壊していた
既に瓦礫も撤去されつつあり残った建物には「解体OK」と赤ペンキで書かれていたりしていた
それにしても自然の力に対して防御する事の限界を感じてしまう
途中「たのはた村道の駅」での地図の�Dあたりが田老の位置でこのあたりのリアス式海岸は切り立った山と海岸が近接しており津波は岩肌を駆け上がって増幅してきたようだ
写真右奥に連なる海に面した外側防潮堤と左側の内陸部に位置する内側防潮堤までは数キロがあり瓦礫と車がそれぞれまとめて積み上げられていた
内側防潮堤のさらに内側寄りに船が見えるが二つの防潮堤を超えてここまで運ばれたようだ
内陸部の三階建ての建物がこの有様であり奥の山肌に墓地群が見えるがあそこまでは津波は到達しなかったようだ
この後宮古市街地を通って盛岡を経て帰路に着いた
後にニュースで田老地区の仮設住宅地でこの日テントによる商店街の開設が始まった事を聞いた、人々のたくましい復興を祈らずにはいられない
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