やく50年前に幼稚園から小学6年まで福島県の四倉町(現いわき市)に住んでいました
第二の故郷のようでいろんな思い出があります
漁業が主な産業の地にセメント会社の存在は大きく社員達は社宅といって回りを塀で囲んだ一角に集まって住んでいました
そこに幼稚園の時に父の転勤で移りました
子供たちの気性は荒くしかし自然の中で明るくのびのびと育っていました
小学校の教室には生徒が溢れかえり教師の中には鉄拳で統制するものもいて妙に4年年だったかの受け持ちの教師が印象に残っています
戦争から生き残った彼は我々を忠魂碑のある近くの丘に連れて行き昼寝を始めそして我々は木に登ったり相撲をとったり駆け回ったりしていました
ある時は教材の蛤を取りに海岸の波打ち際を熊手をひきづって走りガツンと手応えがあった所をワーッと生徒達が蛤を探します
鮭は当時贅沢品で遠洋漁業から帰った船団からの差し入れがあり学校給食に出てくるのが楽しみでした
近くに常磐炭鉱がありまだ石炭を燃料に使っていた頃ですが充分豊かで楽しい記憶で一杯です
今人々は屋内退避になっているのだろうか、津波で破壊され復旧も出来ないままになっているのだろうか
あの当時私たちはこんな危険と裏腹な贅沢な文明を欲していなかった
「太平洋の波分けて清かに上る朝の日の光は胸に満ち溢れ栄えよ四倉小学校」
早期の原子力事故の終息を祈るだけです