ケイデン

八戸市伊藤歯科院長のブログです

2011年03月

以前から読みたいと思っていましたが、あまりにも売れすぎていて躊躇していました
テレビで池上彰氏が著者の岩崎夏海氏に対して「この本が売れたのは表紙が萌え系の女子高生だったからじゃないですか」と挑発的な質問をしていました
その後のやりとりは覚えていませんが、そうでない事は質問した本人が一番わかっているようでした
それで今回読んでみようかという気になりました
読むまではドラッカーの経営学の本をマンガを入れてわかりやすく教えるような実用書的な本なのかなと思っていました
まぎれもなく小説でした、勉強しながら感動できる本です
それぞれの人物の心理も深く描かれていました
読み終わって思わず涙が溢れました
顧客=患者さん・・が望んでいるものは何か・・もう一度じっくりと考えてみたいと思います
映画化されるようで楽しみです
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壊された物を元の状態に戻すのが復旧で今まであった物をより価値の高い物に作り直すのが復興だそうだ
今回私も勉強会において大地震に見舞われてしまった
復旧するつもりは無いが私にとっての復興はなんだろう
まもなく還暦を迎えるにあたり人生のゴールまでの最後の一走りはどんな内容にすれば良いのだろうか
私はこれから新しい技術を取り入れるよりも今まで学んだ技術に肉付けしていこうと思っている
私に出来ることは歯の治療しかない
それを通じて世の中に還元していくことしか出来ない
今回多くの無念が突然、津波に地震に巻き込まれてしまった
私の人生はどのような終焉になるのか
父のように癌であと余命半年と言われるのか、母のように脳梗塞で半身不随になり植物人間となりながら蝋燭が消えるように逝くのか
その時に悔いが残らないように最後の一走り突っ走りたい
その中で若い歯科医の勉強に役立ちたい、という思いはある
「てっぱん」ではないが襷を渡したい
人に物を教える程の学力は無いが勉強の手伝いは出来るだろう・・足を引っ張らないようにして・・
それが私の復興だと思う
「勿体無いですね」と高橋先生から言われた
私の復興が出来れば・・それに対する答えになると思う

「きれる」という言葉は漫才師の西川のりお氏が作った言葉だそうだ
私も自分で言うのも可笑しいが温厚で我慢強い性格だと思っている
今回は久々にブチギレタ瞬間だった
自分より能力の上の人間に批判されるのは納得が出来る
もっと勉強しようというファイトが沸く
しかし能力の下の人に批判されしかもそれが学識能力であり
おまけに行動まで束縛されるかと思うと我慢できなくなる
やはりまだまだ修行が足りないようだ
小さい頃積み木細工をしていて思うようにいかないとワーッと全部
壊してしまった思い出
壊れてもいい人間関係もあっていいかもしれない

本日をもって矯正臨床研究会(SOP会)を退会しました
先日の八戸歯科医師会の定例会で一会員としての立場で学校健診での歯列不正判定基準について二つほど提言しました
これについては昨年4月のブログでその矛盾について述べていたところです
定例会での提言の内容は決して過激なものではなく
1. 歯列不正の判定基準が実態に合わなくなっているが他県他支部での疑問の声などは出ていないのだろうか?調べていただきたい
2. 判定基準1は重症である判定2より軽度のものという事になってるが(殆んどの歯列不正がここに含まれる)健診担当医によってかなりの判定差があり定例会で目慣らし的な講習会を行ってはどうか
というものでした
これに関連しての資料を後日八学歯の専務理事に送りその内容をSOP会で見てもらったところ(見せるべきではなかった・・)かなり勝手な批評をいただきました
私はあくまで個人としての行動のつもりでしたが「会の総意としてとの誤解を招く」「会として改めて提言し直すので撤回せよ」ばかりか「会の顧問である先生に迷惑がかかる」などの話でした
出処進退は己で決めるもの・・私は退会することに決めました
自分の誇りと権利を守るために・・そして後から後悔しないために・・
というわけでしばらくすると伊藤歯科医院ホームベージから歯科臨床研究会の欄が消えることになりますのでご理解のほどお願いいたします

八戸市は全体的にガソリンや灯油不足で困っています
患者さんスタッフの足はバスになりつつあります
階上からのスタッフは早く帰ったりいつもギリギリになってくるスタッフが15分も前に現れたり・・
今週後半の予約表は真っ白に近い状態、しかし被災地の方々を思えば我々は恵まれています
遠くからお見舞いのお電話も数々いただきました
ありがとうございます
20年ぶりに離れていた友人の声を聞くことも出来ました、声は昔と同じで若々しかった
節電、灯油の節約で少し風邪気味です
物流がストップしているのも大変です
歯科材料、薬などそろそろ在庫切れのものも出てきています
東京の矯正ラボから電話があり一応本日送りましたがそちらに着くのはいつになるか分かりません・・とのこと
義歯を外注している青森市のラボとも宅配が動かないため頼むことが出来ません
しかしテレビの情報では新幹線は盛岡、新青森間で動き始め高速道路も東京までの利用可能になったようです
夕べも数回震度2から3の余震でガバッと起きたりしていましたが、だんだん慣れっこになってきています
体の平衡器官が狂ってきていて自分が眩暈しているのか余震なのか分からない時があります
これは私だけではないようですが、とにかく元気を出して前に進みましょう

東北関東大震災からもう一週間になりました
3月11日の午後2時45分は治療中でした
地震が多かったので、またかという感じでしたが、頭に浮かんだのはニュージーランドのペシャンコになったビルの事です
横揺れがドンドンひどくなり、患者さんをユニットから降ろし玄関口からいつでも外に飛び出せる態勢にしました
妻は一事行方不明に・・自宅の火の元の確認に行っていたらしく、しかし必ず声かけてから行動するようにしたいものです
停電になり外の電柱がグラグラ揺れてトランスが傾いていたり、交差点の信号も消えていました
三陸はるか沖地震に較べると横揺れが強く小船に乗っているような感じでした
なかなか静まりそうもなくひどく長い時間に思えました
断水に備えあらゆる器に水を溜めてからスタッフを帰宅させ自宅の片付けが始まりました
暗くなる前に懐中電灯を探し、ラジオを探し・・結局釣りでライフジャケットに忍ばせていた携帯小型ラジオが大変役に立ちました、アウトドア用の道具も役立ちました
あたりが暗くなり暖房もなく妻が使っていた湯たんぽがあり一つ分けてもらいました
外に出た妻が「わー星がきれい」・・こんな時なんだと思いましたが、きっと被災者の方たちも見ていたと思います
街からすべての灯が消えて初めて気が付いた星の美しさ
当たり前のつもりで生活していたのでしたが様々の感謝すべき事の中に自分がいた事に気が付きました
被災者の方たちが一日も早くライフラインを受けられる事を願います

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