ケイデン

八戸市伊藤歯科院長のブログです

2010年08月

母は1年前に亡くなった、当日朝は入浴できるほど体調も良かったが昼前に息を引き取っているのが見つかった、翌日は81歳の誕生日だった
兄弟喧嘩をするといかなる理由でも必ず私が叱られた「年上のくせにどうして弟のリードが出来ないの」
自室で萎れているとドアが小さく開いて「ザマアミロ」の声・・そしてまた喧嘩
現在、弟との不仲を知れば母はやはり私を叱るのだろうか
母が2度目の脳梗塞になり半身不随となり一緒に暮らすことになったが、世話は大変だった・・しかし父が付き添い人の費用を負担してくれていたので助かっていた
ある日転倒して大腿骨骨折その後1年入院、リハビリを続けたが自力で立ち上がる事が出来なくなり老人ホームでお世話していただいていた
「私はいつになったら家に帰れるの?」父や我々が見舞いに行くと必ず聞いてきた
父はいつもはぐらかして答えなかった、実は毎月20数万円を仕送らねばならなくなり不動産の収入も低調で経済的に母を引き取るのは無理になっていた
母が短期で帰宅した後、老人ホームに送っていくとき私は本当の事を言わなければならなかった
「わかったわ、じゃあ恵一、お父さんのお世話をよろしくね」母の声を聞いたのはこれが最後だった
三日後母は三度目の脳梗塞となり意思の疎通も出来ない状態になってしまった
それから5年、継管の栄養のみを頼りに頑張っていた、その間父が亡くなったのも知らずに・・今二人は仲良く眠っている

三浦哲郎氏が亡くなられたことを今日の朝刊で知りました
先日著書をご紹介したばかりで驚いています
実はその本はT先生に戴いたものです
T先生と三浦氏とは大の親友です
私は開業する1年前T先生の所に勤務させていただきました
また亡くなった叔父とT先生、三浦氏とは八戸高校で同級でした
その関係でその後も三浦氏とも何度かお目にかかったことがありますが、恐れ多い気持ちが強く深くお話する機会が無かったのが今から思うと大変残念です
T先生は三浦氏が八戸に帰ってこられると一週間前からわくわくして当日は診療も休みにして一緒に過ごされていました
本当の友との交わりというものを教えていただいた気がします
今T先生のお気持ちを考えるとやりきれない気持ちで一杯です
私が勤務していた頃三浦先生の虫歯をT先生が治療しようとする寸前三浦先生が痛そうな顔をされました
「まだ治療をする前だよ、痛いのかい」
「いや・・これから痛くなる」
「さすが小説家だ」
お二人の大きな笑い声が聞こえてきました
慎んでご冥福をお祈りいたします
明日は母の一周忌です

さて朝、晩は少し涼しくなった感のある八戸でプリンスアイスワールドの主催するフィギィアスケートのアイスショーがあり家内と行ってきた
テレビとまた違って迫力満点だった
暑さが吹き飛んだ
当日席があるかなあと半信半疑で出かけていったら大正解
東京からオタクと呼ばれると思われる数人が来ていて目の前で絶叫、横断幕を掲げる
なんでもプルシェンコに抱きついたという事件も最近あったとのこと
しかしプル様、さすがに役者です、最後は握手をしながらゆっくりフェンス際を回って花束を籠に何杯ももらっていた
他に武田奈也、鈴木明子、荒川静香などおなじみの選手などなど女性スケーターのスタイルは大変目の保養になった
男性陣では世界ジュニアで優勝した羽生結弦(はにゅうゆずる)、若干15歳これから目が離せないスケーターです
(ちなみに演技中は写真撮影は禁止でした)




8月21日は午後休診にして青森の県歯ITレセコン講習会に参加した
途中七戸道の駅に寄って野菜を購入、新幹線の駅もほぼ完成のようです

講習会では青森県歯のホームページが全国の歯科医師会ホームページのなかでもベスト5に入る出来ばえだそうで、これは会員としてももっと見なくてはいけないと思った次第
スマートフォンやホームページ検索の仕方、FC1のバージョンアップの情報などそれにしても世代間のパソコン使用の実力の違いをかなり感じ落ち込んだ
オンライン請求でも猶予届けの出し方で不備が会った事に気が付いた
有意義な講習会だった


母の命日は31日ですが繰り上げて今日14日に家族だけで一周忌を行いました
本堂でお経をあげていただいていたらお参りに来ていた他の人達も焼香をしてくれました
法名軸を自宅に忘れたり息子が痺れて歩けなくなったりハプニングはありましたが取り合えず無事に済ませることが出来ました
初盆なのですぐに自宅に戻りほっとしていたら雨が降ってきました
明日は子ども達も東京に戻っていくのですこし寂しくなりそうです

お盆の季節が来た、私は二つのお墓を持っている
一つは青森市もう一つは八戸市、厳密に言うと八戸市のお寺では檀家になっているが青森市のお墓のお寺の檀家にはなっていない
父が亡くなる年の初めに長い間青森市の自宅は閉鎖されご仏壇のご先祖様には申し訳ない状態が続いていた
近くに住む叔父の仏壇に法名軸(位牌)を預かってもらう話になった、叔父と父は長年険悪な間柄にはなっていたが、父をなんとか説得してそういうことになった
ご先祖様が怒ったのかその半年後父は癌で亡くなったのだが、亡くなる少し前に生前法名をもらいにお寺に行ったら「おたくさんはうちの檀家ではありませんから生前法名はあげられません」変なこと言うなーと思った「私のところは何十年も前から檀家ですが・・」
叔父が勝手に檀家の代表名を父から自分の名前に変えていたのだった
ぶん殴りたい気持ちを抑え叔父の所に行ってお墓はあげますから法名軸と過去帳を渡してください、そうすれば水に流します
その後父の葬儀は青森のお寺と同じ宗派の八戸のお寺に頼みこちらにお墓を作り父を埋葬した
が、その後約束は守られず仕方なく新しく法名軸と過去帳をこちらで作ってもらった
私は長男の長男で小さい時から「お前はお墓を守るんだよ」と育てられてきた
法事の時なども座る席は祖父、父、私、その下座に叔父という順番で行われた封建色が強い家風だった
それがこんな状態になってしまった、青森のお墓にはご先祖様には申し訳ないがお盆の後にお参りに行くことにしている
お盆を取り仕切る権利はお寺の檀家代表のものだから・・

天皇陛下万歳
終戦後60数余年この言葉に違和感をおぼえる人もいるかもしれませんが、当時と違う意味で天皇陛下を称えたい
不祥事続きの大相撲の名古屋場所で全勝優勝を果たした横綱白鵬に天皇陛下がお祝いの手紙を送った事を知り胸のつかえが取れた気がしました
日本人自身が日本の文化を滅ぼす気か・・とか優勝したのが私で良かった、天皇賜杯をもらえない優勝なら・・
輪島の取り口を髣髴とさせるこの横綱は大関時代からのファンだった
昔、横綱曙から「相撲道」という言葉が発せられた時なぜか後ろめたい気持ちがした、ハワイ生まれの青年が本当は一番日本の文化の重責を感じていたと思ったからだ
白鵬の全勝優勝のシーンはみんな見たかったと思う・・生で・・生放送で・・
そして悔し涙でのインタビュー・・なにか日本人として寂寥感のようなものを感じいてたのは私だけだったのだろうか
きょう天皇陛下が横綱白鵬にお祝いの手紙を送ったニュースを見た、嬉しかった
天皇陛下万歳・・ありがとうございます


7月31日土曜日に県南四支部学術講演会が行われた
講師の東京歯科の矢島教授から最近のインプラント治療におけるリスクファクターについてのお話があった
あらためて気を引き締めてインブラント治療に向かうことの大切さを学んだと同時に講師の学生教育への情熱を感じた
終了後M氏と八戸三社大祭前夜祭で賑わう街中に繰り出した
昼の祭りの風景とは又違った幻想感があった


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