母は1年前に亡くなった、当日朝は入浴できるほど体調も良かったが昼前に息を引き取っているのが見つかった、翌日は81歳の誕生日だった
兄弟喧嘩をするといかなる理由でも必ず私が叱られた「年上のくせにどうして弟のリードが出来ないの」
自室で萎れているとドアが小さく開いて「ザマアミロ」の声・・そしてまた喧嘩
現在、弟との不仲を知れば母はやはり私を叱るのだろうか
母が2度目の脳梗塞になり半身不随となり一緒に暮らすことになったが、世話は大変だった・・しかし父が付き添い人の費用を負担してくれていたので助かっていた
ある日転倒して大腿骨骨折その後1年入院、リハビリを続けたが自力で立ち上がる事が出来なくなり老人ホームでお世話していただいていた
「私はいつになったら家に帰れるの?」父や我々が見舞いに行くと必ず聞いてきた
父はいつもはぐらかして答えなかった、実は毎月20数万円を仕送らねばならなくなり不動産の収入も低調で経済的に母を引き取るのは無理になっていた
母が短期で帰宅した後、老人ホームに送っていくとき私は本当の事を言わなければならなかった
「わかったわ、じゃあ恵一、お父さんのお世話をよろしくね」母の声を聞いたのはこれが最後だった
三日後母は三度目の脳梗塞となり意思の疎通も出来ない状態になってしまった
それから5年、継管の栄養のみを頼りに頑張っていた、その間父が亡くなったのも知らずに・・今二人は仲良く眠っている
兄弟喧嘩をするといかなる理由でも必ず私が叱られた「年上のくせにどうして弟のリードが出来ないの」
自室で萎れているとドアが小さく開いて「ザマアミロ」の声・・そしてまた喧嘩
現在、弟との不仲を知れば母はやはり私を叱るのだろうか
母が2度目の脳梗塞になり半身不随となり一緒に暮らすことになったが、世話は大変だった・・しかし父が付き添い人の費用を負担してくれていたので助かっていた
ある日転倒して大腿骨骨折その後1年入院、リハビリを続けたが自力で立ち上がる事が出来なくなり老人ホームでお世話していただいていた
「私はいつになったら家に帰れるの?」父や我々が見舞いに行くと必ず聞いてきた
父はいつもはぐらかして答えなかった、実は毎月20数万円を仕送らねばならなくなり不動産の収入も低調で経済的に母を引き取るのは無理になっていた
母が短期で帰宅した後、老人ホームに送っていくとき私は本当の事を言わなければならなかった
「わかったわ、じゃあ恵一、お父さんのお世話をよろしくね」母の声を聞いたのはこれが最後だった
三日後母は三度目の脳梗塞となり意思の疎通も出来ない状態になってしまった
それから5年、継管の栄養のみを頼りに頑張っていた、その間父が亡くなったのも知らずに・・今二人は仲良く眠っている