ケイデン

八戸市伊藤歯科院長のブログです

2010年07月

ある方から三浦哲郎氏の新刊本をいただいた
短編を書かせたら右に出るものはいない氏の話は特別な経験とかではなく身近な家族やこの南部地域のことやまた昔の話が書かれている
この中で「私の古地図」という短編があって筆者が血圧を測るときに心を安らげて測る術が書かれている
それは昔子どもの頃遊んだ町並みを思い出す事だそうで今は実際はすっかりその町は変わってしまっているのだが氏の子ども時代の昔の町並みは頭の中に克明に残っていてその中を巡ることが出来る
そうやって心の安らぎを得ているそうである
私だけでなく皆そんな風景を持っているはずだと思う
私は今夜は小学生にかえって福島県のいわき市の四倉の町の中を探索することにします

今日は八戸矯正臨床研究会(SOP会)顧問の高橋道義先生に八戸に来ていただいてご指導をいただきました
高橋先生には3から4ヶ月に一度八戸で会員の担当する患者さんの症例相談および診療をご教授していただいています
もともとこの会はさかのぼること20年近く前に発足し私が入会したのはその半分の約10年ほど前になります
当時矯正というと専門性が強くどちらかと言えば敷居が高い感じでありましたがメンバーの先生方から熱心に勧誘を受けその前に一度丁重にお断りしたにもかかわらず再度勧められたのが入会の経緯でした
その後紆余曲折を経て現在のメンバーへと変動はしていますが私が感じてきたのは新しいものに対する興味だったと思います
日本の矯正会にもその間さまざまな新しいテクニックが導入されてきました
そういった新風に吹かれたい一羽の鴎がちょくちょく各セミナーに参加してきました
あるメンバーからは「伊藤先生は危うい、もっと差本的なことを学ぶべきだ」と飲んだ席ではありますが言われたこともあります
一羽の鴎としては自由に飛んでいっていろいろ体験したいという気持ちが強く現在もその気持ちは失っていません
今日高橋先生から教わったことは私の飛んできた方向が決して間違っていなかったということと基本の勉強もやはり重要だという事でした
マイクロインプラントやインビジブルテクニックも矯正のいままでの概念を変えつつあるます
しかし年齢ではなく歯齢で患者さんを診てその診断をしていく基本的なことも忘れてはいけない事だとあらためて実感しました
また20年ほど前のY先生の治療経過を見る機会があり矯正治療が結果が出るまでどうしても長期の年月が必要でありそこから得られる結果の素晴らしさと又資料をとっておくことの重要性も認識できました
昨日それ以前からのプレゼン準備もあり終わってどっと疲れが出ました
高橋先生の写真は恥ずかしがりやのせいもあり掲載していませんがどうしても見たい方は中村歯科クリニックの副院長のM先生のブログで見れるかもしれません
それではオヤスミナサイ


梅雨があけた途端に猛暑になりました
夕方になりさぞかし暑かっただろうとさくらを種差海岸に連れて行ってやりました
広々した世界に出て舞い上がって突っ走ってしまうか心配でしたがその世話は女房殿がすべて引き受けており彼女の言うことはちゃんと聞きます
甘えん坊で以前は抱きついて相手を泥だらけにすることも最近はなくなりました
種差海岸はやはり八戸が誇れる場所です
カップルで景色を楽しんでいる人達もいました


4月から月一で東京に通っていたDr黒江の顎顔面矯正セミナーの受講が終了した
計8日間は名所のひとつも訪れることなく宿泊のホテルとセミナー会場と駅を移動するだけだったが充実感は残った
よく他の人のブログに弁当とか食事の写真が載っていて何もそんなもの写す必要もないじゃんと思っていたが多分そんな時しかのんびりした時間がないのだ


懇親会の時、隣の席の山口県から来られた先生が「我々は魔法の使い方を教わった」と話していた
若葉マークの魔法使いとしてはこれから魔法を使いこなすためのさらなる修行が必要だと思った
また単にテクニック的なものだけでなく人類が遠い過去の類人猿の時代から進化して現在に至り現代社会の様々な影響で不正咬合が起こってきた過程を学ぶ、いわゆる人類学の勉強です
黒江先生のお人柄で自由に質問が出来、聴講生間の雰囲気も和やかなのは他のセミナーでは経験できない事でした
ちなみに終了書の一番外側はゴリラ、次がオラウータンその内側の青い線がチンパンジー、そして赤い最内側の線が人類のそれぞれの顔面頭蓋の輪郭を表しています

昨日は七夕でした
私にとっては亡くなった父が7時間による癌摘出手術を行った日として一生記憶に残ることでしょう
父にとっては生涯最後での壮絶な体験だったと思います
茨城に行っていた父は5月に体調が優れず病院での診断の結果悪性の癌が進行している事が判明しました
今から考えるとこの時点で手遅れでした、手術でかなりの内臓を摘出、丁度司会者の逸見政孝さんと同様余命は僅かだったと思います
それを大事にすれば2年の寿命と医師から宣告された、いや医師にそう言わせた人物がいて、我々も本人もそれを信じていました
八戸に帰ってからまもなく状態が悪化した時に「いったい2年も生きるって誰が言ったんですか」診た医師から言われました
父が亡くなってからは遺産相続などに始まってこの4年間は苦労の連続でした
遺言の半分の事項は無効でした、そのまま相続をすると私は破産しなければなりません
相続破棄も考えましたが、ご先祖が悲しむと思い争うことにしました
人間は死んでからその人の評価が決まると思います
4年間苦労をかけさせられた結果父に対する感謝の念が薄れてしまいました
歯医者にしてもらいながらそんな台詞は言えないのですが、もう少し年月が経てば感謝の気持ちが湧いてくると思います
もう一度言います・・・「人間は死んでからその評価が決まる」

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